塾長のエピソード(高校2年生編)
塾長のエピソード(高校2年生編)
こんにちは。岐阜県揖斐郡池田町の「のぞみ塾池田校」塾長の森です。
池田町・揖斐川町・神戸町を中心に、地域のお子さまに寄り添った個別指導塾を運営しています.
今回は「塾長の経歴(高校2年生編)」について書いてみたいと思います。よろしければ「幼少期・小学生編」「中学1年生編」「中学2年生編」「中学3年生編」「高校入試当日編」「高校1年生編」も読んでみてください。
「幼少期・小学生編」はこちら
「中学1年生編」はこちら
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「高校入試当日編」はこちら
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大垣北高で2年生に進級し、理系クラスに入りました。これまで書いてきた通り、得意教科は国語だったので、適正としてはどちらかというと文系なんですが、昔から車やモノ作りが好きで「モノ作りで社会に貢献したい」という崇高?な夢を持っていたので、数学や化学に苦戦していたものの、理系クラスに進みました。
2年生の時の担任の先生はK先生でしたが、特に個性があるわけでもなく、担任の先生としてはあまり印象に残っていません。ただ化学の教科担任でしたが、K先生の化学の授業は恐ろしくわかりにくかったので、そういう意味ではハズレを引いたと思っていました。またクラスでも徐々に序列ができてきていて、大人っぽくなっていく生徒(いわゆる陽キャ、昔でいうリア充)と、僕のような子供っぽいままの生徒(いわゆる陰キャ、昔でいう非リア充)に別れていきました。このくらいの時期から、陽キャを中心に携帯電話の普及が始まっていました(折り畳みですらなく、まだ液晶も小さく白黒画面のもの)。
クラスで友だちがいなかったわけではありませんが、同じ西部中だった子や、席が近い子くらいなものでした。当時は休み時間を過ごすための娯楽がほとんどなかったため、UNOをやったりサイコロを2個振って何かをするゲームをやったり?しているくらいでした(先生に見つからないようにですが)。ちなみに陽キャの同級生は、クラスで席が後ろの方になると、つまらない授業中には携帯ゲーム機(ゲームボーイやゲームボーイカラーとか?)で堂々とゲームをしたり(しかも通信ケーブルで繋いでいた)、高校生レベルでも読める程度のエロい漫画を読んだりしていました。それでもそれなりの成績をとったりしているわけですが…。
そんな中でも僕は依然として眠気には悩まされていて、それに加えて空腹にも悩まされていました。今では考えられませんが、あまりに空腹で授業中にお弁当を食べていたこともあります。休み時間に机に突っ伏して寝てしまうことも多かったです。また高校生活でも理系クラスは男子が多く女子が少なかったため、僕のような陰キャは女子と一言も話すことなく一日を終える、ということもよくありました。とにかく女子との絡みはなかったです。女子の多い音楽部に行っていてすら、女子と積極的に話すことはほとんどありませんでした。
話は変わりますが、1年生の秋くらいから始めたか、2年生になってから始めたかは覚えていないのですが、夜の志門塾での授業や自習での眠気対策に、学校の帰りの時間を早めにして祖父母の家に寄って仮眠と夕食をとり、その後塾に行って23時くらいまで勉強する、という生活リズムを作ることで対策を始めました。祖父母の家は北高からも塾のある大垣駅からもそれほど遠くなかったので、寄るのに便利だったのです。これで塾に行く前に仮眠をとり、夕食もそれなりのものを食べられるようになったので、塾の授業や自習をスッキリした頭で行えるようになりました。
しばらくそのようにして眠気対策の生活をしていましたが、どこかのタイミングで朝にインスタントコーヒーを飲むようになりました。親がネスカフェの「カフェイン強化コーヒー」(今では考えられませんが)を見つけてきて、それを朝に飲むようになったのです。それに加えて「ミリオンパワー」という粉末状の栄養剤?を溶かしたホットコーヒーを毎朝飲んでいました。正直、これだけで日中の学校生活での眠気はほとんどなくなりました。それまでつまらなくて寝ていた古典などの授業も、いくらつまらなくても眠くなくなり、嫌でも授業を受けることができるようになっていました。これで1年生時から悩まされていた「日中の眠気」の問題は完全に解消できました。最終的には祖父母の家に寄らなくても1日を過ごせるようになっていました(体力がついてきたというのもあるでしょうが)。ちなみにこのコーヒーは大学に進んで一人暮らしを始めても飲んでいましたが、いつの間にか販売停止になってなくなってしまいました。
このように、あまり思い出のない高校2年生生活を送っていたわけですが、ある時の定期考査前に(夏か秋くらい)それまでに出会ったことのない壁にぶち当たりました。それは、突然テストのための勉強がまったく手につかなくなったことです。定期考査前にはさすがにテスト勉強をしていて、毎日のように塾の自習室に通い、夜の11時や11時半くらいまで勉強をしていました(平日の自習室だけで4~6時間くらい)。家では勉強できないタイプだったので、基本的に勉強は全て塾の自習室で済ませていました。
ところがある日、勉強に集中できるはずの自習室で突然、ペンが動かなくなったというか、ノートに字が書けなくなりました。どうしても自分の意志でペンを動かしてノートを使って勉強することができなくなっていたのです。毎日の学校の授業中にはそれほど問題になっていませんでしたが、勉強に集中できるはずの自習室で突然ペンが動かなくなりました。これには自分でもどうしたらよいかわからず、途方に暮れていました。今でいう「メンタルがやられた」状態だと思いますが、当時はメンタルという言葉やそういう概念が一般にはありませんでした。テストのプレッシャーでメンタルがやられかけていました。
その状態が何日か続いたので、ついに塾の帰りの車の中で親に相談しました。その結果「テストまでは一切テスト勉強をしない」という結論に至りました。塾の自習室に行くのをやめ、家でも勉強せず、当時少しハマっていたガンプラ(ガンダムのプラモデル)作りのために毎日部屋にこもっていました。本当に学校の授業以外には一切勉強をしていませんでした。
そうして定期考査を迎えましたが、結果的に赤点(30点以下)を取ることなく、普通かやや悪い点数くらいの点数を取って終わりました。今思うと、赤点を取らずに済んだのは眠気対策ができて毎日の学校の授業をしっかり聞けるようになっていたおかげだと思います。定期考査を終えてからはそのストレスから解放され、徐々に勉強への意欲は戻っていきました。
高校2年生の時の学業面では、タイミングはいつだった忘れましたが、とある模試(マーク式ではなく記述式)の「国語」で高得点を取りました。どのくらい高得点かというと学年2位の点数だったのです。県内でも二桁の順位に入る点数でした。理系のくせに国語で学年2位をとるとか、やはり国語適正はあったみたいです。1年生の時から仲の良い友だちの中に、文系で優秀な成績の子がいたので、その子に自慢しようと「国語何点だった?」と聞いてみました。そしたら驚くことに僕より点数が良かったのです。「え?」と思って「学年1位?」ときいたら「そう」と言っていました。つまり学年1位は文系の彼(つまり文系で1位)で、僕は学年2位(理系で1位)だったわけです。北高で好成績をとったのは、後にも先にもこの時だけでしたが、さすがに嬉しかったのでよく覚えています。
それと学業面ではもう一つ、進路について話がありました。進路についての三者面談の席で「頑張れば名大クラスに届くかもしれない」と学校側から言われて、この時初めて具体的に大学を考えるようになりました。今の北高では考えられませんが、当時は学年の半分か三分の一くらいは名大以上の、いわゆる旧帝大や早慶、関関同立に当たり前のように進学していたので、学年順位で真ん中くらいの僕にもチャンスはあったようです。ただ、名大だと家から通えてしまう、でもどうしても一人暮らしがしたかった僕にとって名大は候補に入らず、他の旧帝大かそれに準ずる大学(広島大とか金沢大とか)を考えるようになりました。ただ当時はインターネットなんて普及しておらず、我が家にはバカでかいPCがあったもののネットに繋いでいなかったので、他県の大学の情報を集めるのは難しい時代でした(両親は岐大出身で、親戚関係も岐阜県の域を出ていなかったから)。とはいえ、希望の学部である工学部や機械工学科のある大学は山のようにあったので、そういう意味では大学は選び放題でした。
あと、学業面では2年生に上がった直後に事件がありました。それは物理担当のO先生がある日の朝、学校で倒れたのです。救急車も来ましたが、原因は「くも膜下出血」で長期離脱を余儀なくされていました(最終的には現場に復帰したようでしたが)。音楽の先生で合唱部の顧問だったH先生も、以前くも膜下出血で倒れ、現場に復帰した先生でした。もともとO先生の授業で始まった物理でしたが、序盤から恐ろしくわかりにくく「ハズレを引いた」と落胆していたのですが、思わぬ形で教科担任が変わりました。
代わりに物理を担当したのは男性のK先生でしたが、K先生は若く、まだ大学を卒業してから間もないくらい若い先生でした。おそらく教員免許は取っていたものの採用試験には受かっていなかったのかな?。とりあえず臨時の講師という感じでした。K先生は、背は低かったですが元バスケ部だそうで、イケメンだったので生徒からは人気がありました。それとK先生の物理の授業はO先生よりもわかりやすく、O先生には少し悪いですが、物理を勉強するという意味では非常に助かりました。この時期の数学ⅡはI先生、数学BはT先生、現代文はK先生と、わりとわかりやすい授業の先生が教科担任だったので、授業についてはそれなりに恵まれていたと思います。
このように、高校2年生時代は学業面ではそれなりにエピソードがあったものの、その他の部活動や体育祭・文化祭等の行事についてはほとんど覚えていません。ただプライベートでは深夜アニメにハマりつつあり、当時はビデオデッキで録画して観たり、サウンドトラックを買ったりしていました。その辺は物理部や放送部の友だちの影響ですね(当時はアニメなんてオタク文化の最たるものでした)。
そんなこんなで高校2年生生活も終わり、いよいよ高校3年生、受験生になりました。高校3年生でも学業面、進路の面、挫折の面などいろいろありましたが、それはまた今度にしようと思います。
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