塾長のエピソード(高校3年生編)

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塾長のエピソード(高校3年生編)

こんにちは。岐阜県揖斐郡池田町の「のぞみ塾池田校」塾長の森です。


池田町・揖斐川町・神戸町を中心に、地域のお子さまに寄り添った個別指導塾を運営しています。

今回は「塾長の経歴(高校3年生編)」について書いてみたいと思います。よろしければ「幼少期・小学生編」「中学1年生編」「中学2年生編」「中学3年生編」「高校入試当日編」「高校1年生編」「高校2年生編」も読んでみてください。

「幼少期・小学生編」はこちら
「中学1年生編」はこちら
「中学2年生編」はこちら
「中学3年生編」はこちら
「高校入試当日編」はこちら
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あまり楽しい思い出のなかった高校2年生時代を経て、いよいよ本格的な大学受験を見据えた高校3年生に進級しました。正直、勉強以外の思い出がほとんどありません。文化祭で音楽部の一員として全校生徒の前で合唱の演奏会をしたこと、体育祭の棒倒しで腕を打撲したこと、体育のサッカーの授業で左足首を捻挫したことくらいです。高校時代は身体が弱くて体力がなかったくせに、体育の授業をまじめに(ガチで)やっていたので、体育の授業で体調を崩したり怪我をしたりすることが何度かあって、体育の先生をハラハラさせていました(今思えば)。

担任の先生はS先生という数学の先生で、授業がわかりやすい、難しい内容でも「微分と積分でたいてい何とかなる」という教え方で、生徒には人気がありました。僕としても数学の教科担任になってくれたのでありがたかったです。ちなみにS先生は北高時代の母の同級生だそうで、当時から優秀で広島大に進学して、その後教師になったようです。


残念ながら高校3年生の授業で最後まで足を引っ張ったのがM先生の英語の授業でした。文法ではなく読解中心の授業でしたが、とにかく生徒に教科書の英文を全訳させることで授業を進めるスタイルでした。生徒はランダムで指名されるため、授業の前に予習で全訳しておかないと授業で発表できません。その「英文全訳」の作業に途方もなく時間を取られ、平日の塾の自習室での勉強の大半はその英文全訳の作業に費やされました。


結果的にこれが、受験勉強をしているように見えて実際は全然できていない、本人も明日の英語の授業の予習が精いっぱいで、数学や物理の勉強が全然できていない、という最悪の状況を作り上げていました。おかげで英語の長文読解に対する苦手感はなくなっていましたが、それ以上の損失を出していて、大学受験失敗の主要因となったと今でも思っています。


一方で物理は、ピンチヒッターだったK先生が交代し、T先生に変わりました。一応T先生は物理部の顧問だったので面識はありましたが、授業自体はオーソドックス、北高のそれまでの先生に比べると授業がわかりやすかったので助かりました。実はT先生が「静岡大学の工学部出身」だったということが、僕が「静岡大学」を意識し始めたきっかけでした。


志門塾には引き続き通い続けており、北高生も多く在塾していましたが、志門塾ですら当時は高等部を立ち上げて間もなかったので、全体的に経験不足な点、また授業や講師のわかりやすさなどでも課題があったような気がします。塾の授業自体もあまり覚えていません。数学のG先生の授業が絶望的にわかりにくかったのはよく覚えています。


ただ、のちに「代ゼミサテライン予備校」という、今でいう「映像授業」を志門塾の中のモニターで見ながら勉強できるシステムが導入されました。当時は予備校と言えば「河合塾」「代ゼミ」「駿台」「東進」等の時代だったので「大垣にいながら代ゼミの現役の講師の授業を受けられる」というのは大きなメリットがありました。いろいろな科目を受けた覚えはありますが、特に理系科目はやはり自分に基礎力がないとついていけない、あるいは受験勉強をしっかりしていないとついていけない、といった感じで消化不良でした。唯一、センター試験の国語対策の講座はばっちりで、本番でこそ失敗しましたが、現代文の評論と小説は合わせて90点以上取れる自信がありました。

そして肝心な志望大学ですが、名古屋大学以外の旧帝大で調べた時に、センター試験の国語の配点が高く、数学の配点が低い大学がありました。それが「神戸大学」です。理系は普通センター試験では理系科目の配点が高い傾向にあったのですが、神戸大学だけはなぜか国語と英語の配点が高く、数学の配点が低かったのです。センター試験の国語でそれなりの点を取る自信のあった当時の僕からすると、その配点は魅力的でした。また神戸は近すぎず、遠すぎず、またなんとなくオシャレな都市のイメージがあったので、単純に住む場所としても魅力的でした。第二志望としては、旧帝大レベルまでは届かないものの、地方の国立大学の中ではレベルが高い広島大学や金沢大学を設定し、最後に第四志望として、T先生の影響で静岡大学に決めていました。この時点で、まさか静岡大学に行くことになるとは思いもしていませんでした。もともと静岡大学は滑り止めのような感じで、行く気は更々なかったのです。


ただ、神戸大学はさすがに旧帝大レベル、入試は簡単ではありません。受験勉強もままならなかった僕からすれば当然のことで、今から思えば通用するはずがありませんでした。マーク式の模試では比較的全教科対応できても、記述式の理系科目の模試では歯が立ちません。マーク式の模試で良い判定が取れても、記述式の模試では良い判定が取れなかったような気がします。でも、この高校3年生の頃の成績については全然覚えてないのです。


生活面でいうなら、ほぼ毎日塾の自習室にこもって勉強の毎日。夕食を家で食べられないため、いつも駅のどこかの飲食店(スガキヤとか杵屋とか)、ほっともっとのお弁当で済ませていました。外食の毎日だったので、当時のお小遣いはなんと月3万円!それで普段の生活費?をすべて賄っていました。ハンバーガーなどを塾に持ち込む子も多く、そのにおいが教室に充満して問題にもなっていたような気がします。まあ、お腹を空かせた高校生が大量に集まるのですから仕方ないですよね。当時はアクアウォークなんかもなかったわけで。その頃は眠気の問題も解決し、高校で授業が終わったら塾に直行、自習をしたり塾の授業を受けたり、その後にまた自習をしたりと、だいたい毎日23:00~23:30くらいまで塾で勉強をしてから帰宅する毎日でした。自転車で帰ると0時近く。また親は自転車を積んで家に帰れるように、自転車が積めるくらいの軽自動車を買ってくれました。


また帰りが遅くなるため、僕にも連絡用に携帯電話を買ってもらえました。当時は高校生にも携帯電話が普及してきていましたが、まだ半分くらいなもので、陰キャな僕が携帯電話を持ち始めたことは特に女子に驚かれた覚えがあります。ちなみに当時はSONY派だったので、SONYのマニアックな機種を使っていました。

秋以降は近づくセンター試験に対応するため、センター試験対策の勉強が増えていきました。特に過去問や予想問題集を解くことが多く、その中では現代文が圧倒的によくできていて、やはり現代文では満点を狙っていました。先述した「代ゼミサテライン予備校」で「センター対策現代文」の授業でセンター国語の解法テクニックを完全に身に着けた実感があり、現代文で100点、古典で30点、漢文で40点程度と、だいたい170点くらいを見込んでいました。他教科も同じように取り組んでいたはずですが、その辺りはよく覚えていません。ただ、少なくともセンターレベルの模試であれば、神戸大学でもB判定や悪くてもC判定、第二志望にしていた広島大学や金沢大学でもA判定やB判定が出ていたような気がします。静岡大学レベルであれば余裕でA判定です。ただその裏で、やはり理系科目や英語の2次試験に対応できる実力は全然ついていなかったのです。

このような状況で年明けを迎え、1月中旬にいよいよセンター試験の本番を迎えたわけです。結果的には点数はそこまで悪くなかったのですが、高校入試の時と同様、多少のドラマはありました。ただ、僕の入試についてはこのセンター試験がピークで、その後は散々でした。このあたりは、また「センター試験当日編」以降に簡単にまとめたいと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。塾長の私の人となりを知っていただけると幸いです。もし興味をもっていただけたら、ぜひ下記までお問い合わせください。


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