塾長のエピソード(大学生活アルバイト編)

query_builder 2025/12/18
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塾長のエピソード(大学生活アルバイト編)

塾長のエピソード(大学生活アルバイト編)


こんにちは。岐阜県揖斐郡池田町の「のぞみ塾池田校」塾長の森です。
池田町・揖斐川町・神戸町を中心に、地域のお子さまに寄り添った個別指導塾を運営しています。今回は「塾長の経歴(大学生活アルバイト編)」について書いてみたいと思います。よろしければ「幼少期・小学生編」「中学1年生編」「中学2年生編」「中学3年生編」「高校入試当日編」「高校1年生編」「高校2年生編」「高校3年生編」「センター試験当日編」「大学受験私立・国立2次試験編」「大学生活学業編」「大学生活サークル活動暗黒編」「大学生活サークル活動充実編」も読んでみてください。


「幼少期・小学生編」はこちら
「中学1年生編」はこちら
「中学2年生編」はこちら
「中学3年生編」はこちら
「高校入試当日編」はこちら
「高校1年生編」はこちら
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「大学受験私立・国立2次試験編」はこちら
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「大学生活サークル活動充実編」はこちら


大学生といえばアルバイトですが、僕も大学生になってからは自分がアルバイトをするのは当たり前だと思っていました。アルバイトにもいろいろと種類がありますが、とりあえず母が大学生時代に家庭教師をしていたと聞いていたので、当時から大手だった「家庭教師のトライ」に登録して、家庭教師からアルバイト生活をスタートさせました。夏休みよりも前には始めていたような気がします。ちなみに夏休みは夏休みで、自宅アパートの近所にあったスーパー銭湯の短期の清掃スタッフに応募しましたが、そちらは勤務日数で折り合わずに面接で落とされてしまいました(人生で初めての面接で初めて落ちたのがこれです)。

最初は家庭教師からスタートしましたが、混声のサークルの先輩の紹介でコンビニ(ローソン)のバイトも掛け持ちでやっていました。当時は24時間営業ではなく、夜の12時には店を閉めるタイプのローソンでした。あと学生生活全体を通じて、サークルや勉強が忙しくて平日にバイトを多く(長時間)は入れられなかったこと、サークルや車の維持にお金が必要だったことから、春休み、夏休み、冬休み、正月等に短期募集のアルバイトをたくさんやっていました。

そもそも、なぜアルバイトをそこまでしてやっていたかというと、それは我が家の家庭環境にありました。両親は小中学校の教員で地方公務員、父方の祖父もすでに働いておらず、祖母も専業主婦、母方の祖父はサラリーマンではありましたが資格職でその後独立し、祖母は同じく専業主婦、叔父さんと叔母さんはそれぞれサラリーマンやOLでしたが、身近な人にいわゆる一般的な「民間企業の会社員」が少なかったのです。僕自身は民間企業に就職してサラリーマンとしてエンジニアになるつもりでしたが、そもそも「会社員」とはどういうものかよくわからない環境で育っていました。これらのことから「アルバイトで民間の経験を積まなくてはダメだ」という使命感?に駆られていたので、多くのアルバイトを経験することにしたのです。ちなみに職務経験を重視していたので、時給を気にしたことは一度もありませんでした(ちなみに社会人になっても給与を第一に考えて就職したり転職したりもありません)。


その中で、短期のアルバイトとしては、自動車部品倉庫の棚卸しスタッフやガソリンスタンドの洗車スタッフ、通販の物流倉庫の仕分けスタッフ、フリーペーパーの配布スタッフ、ホテルや工場の貯水槽の清掃作業スタッフなどをやりました。自動車部品倉庫ではネジの1本やタイヤの1本から数を数え、ガソリンスタンドでは大型の洗車設備を使って1日数百台(特に年末年始)を洗車し、通販の物流倉庫では春(引っ越しシーズンで超忙しい時期)に山のような段ボール箱を運送会社ごとに仕分けし、貯水槽の清掃作業では真夏で熱中症になりかけながらもタンクを清掃していました。


これらの短期バイトはほとんどが肉体労働でしたが、運動不足解消のためにも一生懸命やっていました。短期のバイトだったので、大学の休みが終わる時点でそのバイトも辞めるつもりでいましたが、ガソリンスタンドのバイトや通販倉庫のバイトでは「週1回、日曜日だけでもいいから来てくれ」と慰留されたため、しばらくは週1程度で続けていました(短期の繁忙期を終わるとそれほど忙しくなかったので)。あと貯水槽の清掃の社員さんは正直全体的にガラが悪くて(失礼!)、最初は信用されず舐められていましたが、3日間必死で頑張って仕事についていったら、僕が最終日に「今日で最後です」と言ったら「明日も来てよ~~」と言ってもらえたのが妙に嬉しかったのを覚えています。


また、長期のアルバイトでそれなりにやっていたのが、後述する家庭教師と個別指導塾の講師、あと居酒屋のスタッフと自動車整備工場の点検・洗車スタッフでした。


居酒屋のスタッフは「一度はサービス業を経験しておいた方がいいだろう」という考えのもと、自宅アパート近所の日本食の割烹居酒屋で夜のバイトを始めました。小さなお店でしたが、実はけっこう老舗の隠れ家的なそこそこの高級店で、地域でもそれなりに地位の高い人たちがお忍びで来ているようなお店でした。ホールスタッフが2人だけだったので、休日や祝日に混むと無茶苦茶大変でしたが、平日はそれなりにまったりやれていました。ちなみに夕食に「まかない」があったのですが、これが大ボリュームで超おいしかったのが良かったです。この時に栄養のあるものをたくさん食べるようになったので、それまで貧弱だった身体が元気になり、体力もついて自分の身体が出来上がったような気がします。


大学院生になってからの約2年間は、「車検のコバック」に加盟している自動車整備工場の点検・整備・洗車スタッフとして、土日を使ってほぼフルタイムで働いていました。このバイトは、もともと車が好きだったので選んだような感じです。最初は車検を終えた車の外装を洗車したり、内装を掃除機掛けしたりする仕事ばかりでしたが、僕が工学部出身で車にも詳しかったため、だんだんとタイヤの交換や各種点検、オイル交換や冷却水交換などもやらせてもらえるようになりました。通常期はそれなりの込み具合でしたが、春と秋の車の登録時期には一気に台数が増え、午前中だけで10台以上車検を通さないといけないような状況では大忙しでした。ただ、僕自身も必死でしたし、特に内装のクリーニング(掃除機掛けや雑巾がけ)はできるだけきれいになるよう頑張っていました。このバイトを辞めるときは大学院も修了間近でしたが、店長さんには「いつでも戻ってきていいよ」と言ってもらえたのを覚えています。

それで、今の仕事に繋がる家庭教師と個別指導塾講師のアルバイトについては、これはまたこれでいろいろとありました。

まず、最初に家庭教師で受け持ったのは、お寺のお坊さんの息子さんで、当時中学1年生でした。今思えばですが、この子は本当に勉強が苦手で、とても苦労しました。今で言うと低学力の子です。ただ他に家庭教師の経験がなかったので「こんなものかなぁ」といった感じで週に2回、英語と数学を教えていました。家庭教師のトライ本部からは何もサポートがなかったので、ずっと自己流でやっていましたが、その子が「進研ゼミ」を取っていたので、途中からはそれを利用して指導していました。結局中1から受け持って3年間続けて、最終的には当時の芥田学園(このあたりで言うと、清陵高校や大垣西濃桃李高校のような高校)に進学していきました。勉強はできませんでしたが、性格は非常で温厚でネガティブさは全くなく、常にニコニコしていたので、お坊さんの後継ぎとしてはうまくやっていける子だと思います。


また、家庭教師では、旅館の息子さんも担当しました。旅館と言っても観光客向けではなく、工事現場の作業員さんとかが一時的に利用するような旅館だったと思います。その子は大人しく、勉強ができないというわけではありませんでしたが、成績としては伸び悩んでいる状態でした。確か中2の頃から指導し始め、こちらも卒業間際までやっていたと思います。当初は浜松工業高校が第一志望でしたが、成績的にそこまで届かなかったので、浜松城北工業高校に進学しました。第一志望校には届かなかったので、そういう意味では僕の力不足ではありました。ただ、数年後に新聞をなんとなく読んでいたら、地方面に彼の顔写真が載っていてびっくりしました。どうやら浜松城北工業高校の生徒会長になったらしく、その高校の記事の中で写真が載っていたみたいです。第一志望校には届きませんでしたが、浜松城北工業高校の生徒会長にまでなれたという意味では、それはそれで良かったのかな、と思っています。


このような家庭教師がひと段落してからは、いわゆる「大手個別指導塾」の個別指導講師のアルバイトを始めまました。これは自分から始めたというより、混声のサークルの後輩から勧誘されたからです。当時は「がんばる学園」という名前の個別指導塾で、今でいうとITTOさんやみやびさんの系列ですね。家から車で20分ほどと、少し離れた所にありました。確か週2回、火曜日と金曜日に行っていました。

ここでは確か2年~3年くらい、トータルで10名弱の生徒を受け持ちました。中学生と高校生です。そのうち男の子は中2と高1の2人だけで、他は全て女の子でした。講師が男性でも大学生で若い場合、中学生や高校生の女の子でも抵抗なく受け入れてもらいやすいのかわかりませんが、とにかく女の子を多く受け持っていました。


当時の感覚としては「絶対に成績UP、志望校合格!」というよりは「とりあえず塾に入っておく」子が多かった印象で、指導方法もなにもかもすべてが講師に任されていました(悪い意味で言うと丸投げ。ただ塾長はいい人でした)。中学生に関しては塾のテキストをベースに、高校生に関しては各高校のワークを利用して、主に数学や理科、英語を教えていました。当時は大学院生で高校数学もある程度頭の記憶に残っていたので、文系の高校数学ならそれなりにスラスラ教えることができていました。


この塾講師時代も、そもそもまじめにやらない子、成績が伸び悩んでいる子、ほぼ自習室代わりに使う子、真剣に大学入試に備える子等、いろいろな子がいました。全員の進路を把握できたわけではありませんが、最後の方まで受け持っていた高校3年生の女の子2名(同じ高校でお友達同士)は、それぞれ地元の静岡大学、あと帝京大学にそれぞれ現役合格したので、それなりの実績は残せたと思います(通っていた高校自体がそこそこの進学校で、当時でいうお嬢様女子高だったというのもあると思いますが)。ちなみに、このがんばる学園でも辞める際には塾長から「森先生は人気があるから、いつでも戻ってきておいで」と言ってもらえたことを覚えています。


以上が、僕のアルバイトのエピソードです。大学や大学院在籍時のトータル8年間のうち、就職活動中や卒論発表、修論発表前以外は、常に週4~週5でアルバイトをして、月に7~8万円くらいは稼いでいました。とはいえ、お金儲けが第一ではなく、あくまで「民間の経験を積む」という目的で、いろんな現場で働かせていただきました。これらの経験は、その後の人生でとても役に立ちましたし、今の塾の教務でも役に立っています。正直大変な面もありましたし、バイトのやりすぎで留年した側面もあるのでいいことばかりではありませんでしたが、いろんな職場のいろんな立場の人たちと関わりを持てたことは、かけがえのない経験になりました。これまで担当してきた塾生、また今や今後担当する塾生もいずれ高校生や大学生になると思いますが、ぜひ何らかのアルバイトをして、学業以外での人生経験を積んでほしいと思っています。


ここまで読んでいただいてありがとうございます。塾長の私の人となりを知っていただけると幸いです。もし興味をもっていただけたら、ぜひ下記までお問い合わせください。

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