塾長のエピソード(大学生活学業編)

query_builder 2025/11/16
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塾長のエピソード(大学生活学業編)

こんにちは。岐阜県揖斐郡池田町の「のぞみ塾池田校」塾長の森です。


池田町・揖斐川町・神戸町を中心に、地域のお子さまに寄り添った個別指導塾を運営しています。今回は「塾長の経歴(大学生活学業編)」について書いてみたいと思います。よろしければ「幼少期・小学生編」「中学1年生編」「中学2年生編」「中学3年生編」「高校入試当日編」「高校1年生編」「高校2年生編」「高校3年生編」「センター試験当日編」「大学受験私立・国立2次試験編」も読んでみてください。

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第一志望大学ではありませんでしたが、結果的に静岡大学に合格・入学し、念願の大学生活ライフ、一人暮らしを始めることができました。やっと高校までの勉強から解放される、好きな機械系のことが勉強できると、それなりにワクワクしていました。ちなみに静岡大学と岐阜大学の偏差値はほぼ一緒なので(理系はトントン、文系は岐大の方が少し上だと思います)、岐大も似たようなものだったと思ってもらえればイメージしやすいと思います。


が、肝心の講義が始まると、そのワクワクはあっという間に消え去りました。大学での勉強の内容が難しくてついていけなかったのです。特に数学の「線形代数」や「微分・積分」、物理の「力学・波動(特に波動方程式)」あたりは、わからないことだらけで全然通用しませんでした。大学に入ってもなお、高校から引き続き理数系の科目に苦戦していたのです。


また専門科目も1年生の段階から講義を受け始めましたが、これもまた難しい。特に「機構学」という、主に歯車に関する講義は、今から思うとなんとか理解できるのですが、当時はお手上げ状態でした。専門科目でも暗記系の科目はなんとかなっていた感じでしたが、公式や定理が多数出てくる専門科目(いわゆる計算力が必要な科目)には1年目から苦戦していました。


また、専門科目だけではなく教養科目(主に文系科目)もあったわけですが、これはこれで授業内容が面白くなく、自分で選択した科目であってもなかなか興味が湧きませんでした。ただ、英語とドイツ語に関しては文法と読解さえできていればなんとかなったので、そんなに苦労はしなかったような気がします。


なぜ、こんなことになっていたのかというと、静岡大学の当時の事情があったのです。


静岡大学は、名前こそ1つですが、実は東部の静岡キャンパスと西部の浜松キャンパスに別れています。文系学部と理系の一部学部(農学部と理学部)は静岡キャンパス、理系の工学部と情報学部だけは浜松キャンパスと、それぞれの政令指定都市に別れているのです(浜松の方は今いろいろとゴタゴタしているようですが)。


僕が入学するより1年ほど前までは、1、2年生は工学部や情報学部の学生でも静岡キャンパスで専門科目以外の基礎科目を勉強し、3年生になったら浜松に引っ越して、3、4年生で専門科目を勉強する、という仕組みでした。それが、僕が入学する1年前から変わって、工学部も情報学部も1年生から(つまり入学して最初から)浜松キャンパスで一貫して文系科目も理系科目も講義を受ける、という仕組みに変わったのです。静岡キャンパスと交流をもつためには、静岡キャンパスと一体のサークルに入る以外はほとんど手段がありませんでした。


この大学全体(主に工学部と情報学部)の体制の変更には、教授側の対応も大変だったようで(おそらく)、それまでは3年生以上に教えればよかった専門科目の内容を、1、2年生にも教えなくてはならなくなったのです。僕が入学する1年前から始まった制度変更とはいえ、当時の教授側(教える側)のノウハウ不足、経験不足は明らかでした。専門科目の教科書はほとんど教授自身が書いた教科書(市販品ではないもの)、各教授はそれに基づいて講義をするので、教授の頭の中では100%理解できていても、それを1、2年生の学生側が理解するのにはギャップが大きかったのです。ちなみに僕はいろいろあって(後述しますが)「1年半留年した(実質2年)」ので「6年間大学生をやっていた」わけですが、制度変更への対応は、その6年間でずいぶん改善されたように思います。


おかげで1年生の前期から、必修科目も含めていきなり数単位落としてしまったのです。ついていけず、途中で履修を諦めたものも多数ありました。試験を受けて落ちたことはほとんどありませんでしたが、試験を受けること自体をあきらめて放棄することが多かったです。また別記事になると思いますが、当時はサークル活動やバイトが忙しく、お金もかかり、また体力がなかったので大学の授業をちょくちょくと休むこともありました。これは高校時代から続いていた悪い傾向で、授業を休むことでますます取り残されていくことに拍車がかかっていました。


話は変わりますが、大学生が単位を取得するために試験を受けるうえで必須なのが「過去問」です。これは中学生も高校生も同じですが、中高生と違って、大学の科目の過去問などは一般では売っていません。簡単には入手できないのです。


ここで一番大事なのは「コネとパイプ」です。部活やサークル、バイト先の先輩や同級生とのコネやパイプがあれば、いろいろな方面から過去問を入手して試験対策ができます。つまり同じ学部・学科の同級生や先輩が周りにたくさんいるほど有利なのです。これはまた別の記事になると思いますが、当時の僕は学科の友だちも数人、サークルの先輩もほとんどおらず、またバイト先でも運悪くそういった出会いはありませんでした。つまり過去問を入手するためのコネやパイプがほとんどなかったのです。

過去問を入手することがまったくできなかったわけではないですが、十分だったというような記憶はありません。人数の多い部活やサークルに入ったり、静大生がたくさんバイトしているファミレス等でバイトをしていたりしていた子は、簡単に過去問が手に入っていたようですが、当時の僕の環境ではそれができませんでした。そんなわけで、授業や試験で苦戦した結果、どんどん単位を落としていく事態が続きました。


その段階で明確に意識していたわけではないですが、いわゆる「留年」についても甘く考えていました。これも別の記事で書くと思いますが、サークルの先輩の半分以上は留年経験者?というか留年中でした。工学部等の理系学部はやはり勉強内容が難しく、一発の試験での点数も求められるので、文系学部と違って留年率が高かったのです。たぶん当時2~3割の学生は留年していたと思います。そういう事情もあって、留年への抵抗感や危機感をほとんど持っておらず、「まあ、周りも留年しているし、自分も留年していいや」と軽く考えていました。これがその後の人生にどれだけ悪影響を与えたか…当時に戻れるなら自分で自分を殴り倒しているところです。


結果的に学業面については、3年間で取れた単位数は4年生への進級要件には足りず、無事1年目の留年が決まりました。つまり4年生として研究室には入れず、もう1回、3年生以前の勉強に取り組んで単位を取得していかなければならなかったのです。大学生活の4年目にあたる年には、大学4年生ではなく「大学4回生」でした。


そんなわけで「大学4回生」生活が始まったのですが、この年にはサークルやプライベートでいろいろあって、それはそれでいいことではあったのですが、結果的にまた勉強は後回しになってしまいました。同級生の半分以上はさすがに4年生になっていたので、横のつながりも希薄になりました。4年生になるために必要な単位数が多かったわけではありませんが、またこれもいろいろあって授業を休むことも多く、取れそうな単位には限りがありました。それでもなんとかギリギリ4年生への進級要件を満たす単位を取得して、大学生活4年目を終えたのです。この時点では留年は1年で済むはずでした。


ところが後日、学部の掲示板を確認してみると、4年生への進級リストに僕の学籍番号がありません。びっくりしてすぐに学生係にいって問い合わせたのですが、なんと単位が足りていなかったのです。自分で計算して確認した以上では、ギリギリでしたが単位は足りていました。


実はここには落とし穴があって、僕は「安全工学」という選択科目を履修して単位も無事に取っていました。ただ、この「安全工学」という科目が最近新設された科目、つまり僕が入学した時点では存在していなかった科目だったため、4年生に進級するための単位には使えないと告げられたのです。それについてはまったく知りませんでしたし、アナウンスもされていませんでした。あとから聞いた話では、この扱いは教授会でも話が出たようで、救済するかしないかになったらしいですが、最終的には救済されず、結果的に「1単位足りず」に「留年2年目」が確定したのでした。


さすがに僕もこれには参りました。留年している先輩でも2留以上はそう多くありません。親はなんとか許してくれましたが、さらにお金がかかることになりました(毎月10万円の仕送りとまるまる1年分の学費)。


結局、大変だったサークルを4年間ですっぱり辞めたため、留年2年目、つまり「大学5回生」時代は学業とバイトだけに集中することができ、またバイトのおかげで体力もついてきたのもあって、学業面ではそれほど困らずに単位取得を進めることができました。足りない単位は1単位だけだったのでほとんど毎日が日曜日のようなものでした。


こうして無事に前期だけで単位要件を満たすことができ、制度上は後期から「4年生」になることができる状態になりました。これが留年は「実質1年半」という理由です。この時点でどの研究室に入るか割り振られるわけですが、成績上位者が優先であったため、人気の研究室は競争になります。そこから落ちると不人気の研究室に行く可能性もあったため、成績や実力に自信のなかった僕にとっては人気の研究室を選ぶという選択肢はありませんでした。ちなみに人気の研究室とは「教授の人柄がいい」「特定分野の就職に強い」「緩くて研究自体が楽」といった研究室のことです。


そこで僕が選んだのがS助教授の研究室でした。S助教授は「工業英語」という科目の少人数授業の時の担当教官で、授業自体はわかりやすかったので、その時点ではよい印象を持っていました。また、当時はまだ助教授でメジャーな研究室ではなく、研究内容もそれなりに地味だったため、競合することもありませんでした。こうして大学5回生の後期から、「S研究室」の一員となったのです。


ただ、当時は後期から研究室に入るつもりはなく、後期は休学してバイトで学費を稼いだり就職活動をしたりして、そして春に「4年生」として復帰して、1年間「4年生」をやって卒業するつもりでいました。ただ、研究室に配属になって教授と話をした際に、それは許可されなかったので、結局その年の後期からS研究室で研究を始めることになりました。つまり最終的に「大学4年生を1年半やった」ことになります。ですので、卒業論文自体は「1年半」分の研究成果となりました。また春から入ってくる新人にとっては「半年先輩(実際は留年しているから2歳年上)」となりました。


これが良かったのか悪かったのかは、今となってはなんともいえません。良い面も悪い面もあったと思います。ただ、学業というよりは研究中心の生活となり、またバイトはいろいろと続けていたので、研究とバイトに集中できる期間になりました。


こうしてS研究室での研究生生活に入るわけですが、ここについてはまた別の機会に書きたいと思います。


ここまで読んでいただいてありがとうございます。塾長の私の人となりを知っていただけると幸いです。もし興味をもっていただけたら、ぜひ下記までお問い合わせください。
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